東郷克美

本来「大地」に境界などないのである。 いささか大仰ながら、私はときどき「脱国」ということを夢想する。明治維新は脱藩した志士たちが大きな力になって実現した。もちろん、脱国したまま、この日本社会で生きることは現実的には不可能だろう。しかも「国家」は個人が自らの意思で選んだものではない。だとすれば、国家が「愛国」を強制することはできないはずだ。一方で、〈在日〉コリアンという存在のことを考える。彼らはそのアイデンティティを保証する国家をもたない。不謹慎に聞こえるかもしれないが、私は時々〈在日〉薩摩人ということを考えてみることがある。